2008年08月12日「加藤隼戦闘隊の歌記憶に残る歌
(とし坊 1939年 生まれ) 
 見出しに戻る 
 前に戻る
 次へ行く


地球温暖化の為かどうか分かりませんが、この日本列島の近来の夏の暑さは、たまったものでありません。この状態がこれからずーっと続くとすると、日本も亜熱帯になるのでしょうか。植生も変化し、人間の文化、文明と風土との相関関係を考えると、日本という国の国民性というかアイデンティティも、変化するように思います。日本の特殊性から抜け出し、少しでも地球に共通する普遍的な方向に、進むのであれば、良いことであります。

まもなく終戦記念日(敗戦記念日と言わないところがこの国独特の無反省体質)です。老人大国になるとはいえ、あの戦争を知らない世代が多くなりますね。長い間、自分だけの心に閉まっていたメロディがあります。放送大の「日本の思想」という科目を履修して、日本人の心の歩みの概略を知ったことで、逆に、自分の中にある戦争前のメロディの記憶を、記録に留めたいと思いました。

ギターで、心の中のメロディを音化しました。終戦直前に記憶では近くの公民館かどこかで観た、自分の最初の映画の最後で、ゼロ式戦闘機の編隊が、敵艦めがけて大空を旅立って行くシーンに流れていたBGMです。このシーンとメロディが、60年間忘れられなかったです。自分の教育は、戦後のGHQによる民主化教育で育って来たので、何か奇妙なことです。日本古風よりも、すっかり近代化志向の人間に育ってしまったのに、ゼロ戦のあのシーンを肯定的に見る自分もあるのでしょう。

メロディ化してから、ネットで検索してみて驚いてしまいました。何と、この曲に関する多数の情報が見つかり、メロディや歌詞も試聴できました。多くの人が、このメロディを忘れないでいたのです。自分の記憶のメロディが、幾分違っていたことも分かりました。また、記憶のメロディ、優美な前半部分が、ネットでは出て来ませんでした。分かったのは、行進曲風の主題部分のみです。戦前の著名な映画だそうです。

これから、日本はどう進むか。最近の八方塞がりのような状況から、先がなかなか見えません。これから世界は、人類は、地球は、どうなるのか。オリンピックに浮かれている状況でないように思います。


人間は、なぜ戦争するのか。これも、人間は、なぜ喧嘩するのかという、身近な現象から掘り起こして考えれば、喧嘩した後、ごめんなさいという一言で、ほとんど解決されるのです。

論理的に謝ることが第一です。何回も、謝ったとしても、正しく日本的な、感性的な謝り方に終始しているから、未だに分かってもらえないのです。日本人にとって、終わったと思っている戦争は、実は、まだ終わっていないのです。日本的な感受性というか、考え方が、世界の中では、むしろ特殊なものです。通用するかどうかは、根本的な、普遍的な立場からの考察が必要です。
ドイツが、どのような謝り方をしたのか、また、対応する相手が、どのように受け止めているのか、もっと参考にすることが、大事です。

ぼくも、このような日本人のひとりです。論理的な、言葉(=ロゴス)で生きていません。むしろ、感性で、まー良いかー。というような感じで、生きています。欧米や、中国では、通用しないでしょうねえ。

しかし、日本とは、つくづく不思議な国です。社会の二重構造もありますしね。欧米のような一枚岩の社会でなくて、日本では、近代風を装った建前の社会の内に、もう一つの社会である世間というものもありますしね。世間が、曲者ですよ。世間は、独特の日本の歴史性により生まれた、世界には通用しない社会です。世間の中から世界に、謝っても通用しませんね。

まして、これが戦争(喧嘩)でなくて、いじめ であれば、なおのこと。日本の世間の中にある、いじめの構造とは、日本島での内部共同体を大事にするあまり、内部における まつろわぬもの を排除することだけを考え、内部ではまーまーという談合社会を作り、それが世界で一番に幸せな国と錯覚してきた結果です。

日本人は、内部でも外部に対してでも、もっと普遍的な世界観で生きなければならないと思う。

inserted by FC2 system