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とし坊の スケッチとギターへの想い |
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BGM; 「エターナリー」
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ギターのこと ぼくはクラシックギターで使う足台が好きではありません。クラシックギターの技術は、人間に元々存在しない物を土台として開発されて来ました。クラシックの様式的な美しさは素晴らしく大好きです。しかし様式に捉われないギター音楽にこそ、ギターと言う楽器の良さがあると思います。 スケッチのこと ぼくは現場のスケッチのみで完結です。風景の中に溶け込み、風景のひとつの要素となっている自己を感じながら、本当は、全体を移したいのですが、目の前のある部分を切り取って移します。自然の中にある美を、多少でも移すことが出来たら、それだけで満足です。 美と芸術について 放送大学などの美学で勉強したことと、ぼくの風景スケッチとギターの演奏が、どの様な絡みがあるのか、何時も考えています。 学問としての美学には、近代的な知的探究の結果があるのでしょうが、ぼくには納得が得られない面があります。高等な芸術論には、現代の大衆レベルの考えが反映されてなく、ヨーロッパ的な理解だけで日本的な感性の美意識も考慮されていない。 芸術というのは、結局、装飾性すなわち自然に手を加えること、(これを創造というのか)にあるということが言われるのですが、ぼくのスケッチもギターも、全然、装飾性とは関係がありません。自ずから在るように在るという気持ちです。むしろ、ぼくは人間が考えて創るということが、真に本物の芸術を意味するのか疑問に思います。 人間には、自然よりも優れた美が創れるのでしょうか。大きな自然の美から見れば、区別すること、差別することに、意味がありません。美学的に見て、遊びとか趣味の中にも美は存在します。趣味とか芸術とか、突き詰めて考えれば同一のものであると思います。芸術といって、何も特別のものではないと思います。美を感じて、美を求める人間の身体活動が芸術である。 画像や音声のデジタル化も、現物だけが本物であるとしてオーラを求めるのでなく、デジタル作品も本物であると思います。 芸術に代価を求めるプロの所業は、美の本質とは関係ないものです。プロとアマの垣根など本来はありません。 自ずからの美には、人間の作った制度による本物や偽物の区別は存在しない、と思います。 美とは、真実と誠を含んだ、自然から人間に与えられた最大の贈りものですね。 (2009.4.28) |
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