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とし坊の
スケッチとギター
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あしどり
BGM; 「エターナリー」
   
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青年期から、いわゆる理性的なものよりも、感性的なものに惹かれるようになりました。ですから必ずしも、世間で一般的な行為に満たされた人生ではなかったかもしれません。世間的な考えとは別の、自分で信じられるやり方で、根本的な人倫を追求してきたつもりです。 今に生きるまで困難な時にも常に、スケッチとギターがぼくを助けていてくれたように思います。

スケッチとギターについて、みんな短期間でしたが、多くの先生のご指導をいただきました。あまり良い生徒ではなかったかもしれませんが、やはり自分で思う以上に、それぞれの先生から影響を受けてきたような気がしています。本当に、お世話になったと思っています。

スケッチもギターも、ただひたすら楽しみにやってきました。これからも、あまり型にとらわれないで、楽しみたいと思います。両方とも、外に出すためでなく、自分のため、内なるものです。

絵画や音楽には、金銭を求めず、また貴賎はなく、生活者に優しい美を求めています。



ギターのこと
 ぼくはクラシックギターで使う足台が好きではありません。クラシックギターの技術は、人間に元々存在しない物を土台として開発されて来ました。クラシックの様式的な美しさは素晴らしく大好きです。しかし様式に捉われないギター音楽にこそ、ギターと言う楽器の良さがあると思います。

スケッチのこと ぼくは現場のスケッチのみで完結です。風景の中に溶け込み、風景のひとつの要素となっている自己を感じながら、本当は、全体を移したいのですが、目の前のある部分を切り取って移します。自然の中にある美を、多少でも移すことが出来たら、それだけで満足です。

美と芸術について 放送大学などの美学で勉強したことと、ぼくの風景スケッチとギターの演奏が、どの様な絡みがあるのか、何時も考えています。


学問と
しての美学には、近代的な知的探究の結果があるのでしょうが、ぼくには納得が得られな面があります。高等な芸術論には、現代の大衆レベルの考えが反映されてなく、ヨーロッパ的な理解だけで日本的な感性の美意識も考慮されていない。

芸術というのは、結局、装飾性すなわち自然に手を加えること、(これを創造というのか)にあるということが言われるのですが、ぼくのスケッチもギターも、全然、装飾性とは関係がありません。自ずから在るように在るという気持ちです。むしろ、ぼくは人間が考えて創るということが、真に本物の芸術を意味するのか疑問に思います。

人間には、自然よりも優れた美が創れるのでしょうか。大きな自然の美から見れば、区別すること、差別することに、意味がありません。美学的に見て、遊びとか趣味の中にも美は存在します。趣味とか芸術とか、突き詰めて考えれば同一のものであると思います。芸術といって、何も特別のものではないと思います。美を感じて、美を求める人間の身体活動が芸術である。




画像や音声のデジタル化も、現物だけが本物であるとしてオーラを求めるのでなく、デジタル作品も本物であると思います。

芸術に代価を求めるプロの所業は、美の本質とは関係ないものです。プロとアマの垣根など本来はありません。

自ずからの美には、人間の作った制度による本物や偽物の区別は存在しない、と思います。





美とは、真実と誠を含んだ、自然から人間に与えられた最大の贈りものですね
。 (2009.4.28)


 
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