とし坊のあしどり
(ギターとスケッチを中心に)
戦前と戦後、東京と大阪、ギターとスケッチの人生です。
ヨーロッパ知と日本知の狭間で揺れ動く人生とも云える。
社会生活よりも、個人として生きている人生、
お金には、まったく縁のない人生です。
私の人生は、退職後に、自足されたと感じています。

WebSite では、個人の生活と思いが中心です。
ネットでは、家庭や親族などの事情は、ほとんど出しません。
現実の生活に関係した方には、ご迷惑かけたくありません。

 
現在は、生活絵日記 が、中心。 
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2010− 6− 9作成
2013− 8−31補足
2013−11−16補足
2014− 1− 10補足
2014− 7− 25補足
2016− 7− 31補足
 
     BGM; 「愛と死を見つめて」   
   
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 誕生から 高校生時代 まで

1939年 東京都豊島区椎名町で、6人兄弟姉妹の一人として、
誕 生

女姉妹の中で、生まれました。おまけに直ぐ上に生まれた兄が、直ぐに亡くなり、その代わりとして、生まれてきたように思われました。亡くなった兄は、見るからに健康そうで、可愛かった。それに対して、私は腺病質そうでした。生まれながらに、身体が弱かった。このことが、一生ついて来たようです。現在は、本来の身体に反して、なぜか長生きしているのです。

生家の隣に、2才年上の足の悪い、腕白坊主がいました。ずーっと彼に苛められていた記憶があり、そのことがトラウマのように、陰に日向に、一生ついて回っていたような気がする。 ぼくの人生には、いつも何かに苛められている、苛められっ子、弱者の感覚が、生き続けている。

ぼくは弱者の立場から、常に弱者と共に生き、
弱者を応援する人生でありたいと願っている
東京都豊島区
誕生から終戦まで
小学校入学
  
戦前のことは、全体として懐かくも良い記憶として残っている。東長崎第三小学校に入学しました。その学校で、本当に入学式した記憶は、ありません。暫くして、近くの西武線の側の、お寺の寺子屋で、小学校の勉強した記憶があります。

やはり一番の記憶は、戦争のことです。東京空襲の時に、夜空に浮かぶB29と焼夷弾の光、今でも覚えています。家族で、近くの畑で、下につっぷしていました。上を、B29が編隊で、焼夷弾をぱらぱらと、落としてゆきました。その時は、綺麗な光に、見えました。

この頃、加藤隼戦闘隊の映画 を見ました。

終戦直前には、日本の飛行機が打ち落とされて、家近くに落ちてきて、二階の窓から見ていたこと。日本軍による、残骸の回収作業を、秘密の中に、全部見届けました。

椎名町での記憶は、これぐらい。

直ぐに終戦となりました。戦後の想い出は、進駐米軍の拾輪車から、振り撒かれる、チュウインガムなどのお菓子を、拾い集めて、楽しみ食べましたね。

終戦の数か月後に、練馬に引っ越しました。

この頃の想い出を、空想と事実をまぜて ムサビ通信の課題として制作した 寓意画へ  
都内で終戦前の出来事と、練馬での戦後の出来事が、複層している想い出です。
東京都練馬区
小学生

終戦後は、その頃は田舎風であった練馬で、のんびりと過ごしました。

低学年の頃は、父親に連れられて、銀座や池袋に、散歩に行ったことがあり、唯一東京都内の想い出です。池袋の映画館で、ターザン映画を楽しみました。ジョニー・ワイズミュラーの「アー、アーアアー」の声は、今でも、忘れません。

父親の仕事の工場、敷地内の社宅で、小さな庭には、さつまいも畑があり、芋のつるを、食べたのを覚えている。工場は、石綿工場でした。このことが、後年、高齢期になり、問題点があったことが、分かりました。

低学年の頃は、家の近くで、ベーゴマとか、メンコに夢中でした。ベーゴマ研ぎを、近くの十三間(じゅうさんけん)道路で、竹竿の先に、ベーゴマつけて、研いでいました。

小学校では、戦後教育で育つ。担任の先生の影響で、昆虫採集が大好き。麦畑やどぶ川で遊びました。関東ローム層の上に、広大な麦畑と、小川が流れ、氷川神社や小学校がありました。

漠然とした将来志望は学者でした。

父親の仕事で、6年生の時、昆虫採集の箱に、アゲハ蝶を入れて、東海道線、特急つばめ号に乗りました。その時は、直ぐ明日にでも、東京に帰れる気持ちで、汽車に乗りましたが・・・。。

それが、大阪暮らしあれから何十年続いたのでしょう。
いつもいつも、老年になるまでも、東京に帰りたいという気持ちをもっていました。


小学校の最終学年に、引っ越したので、卒業は、大阪の小学校です。
大阪の学校に移って、一番の印象は、みんな誰も、ませた大人の顔をしていたこと。やはり、商売の街だなと思いました。


大阪市西区
中学生
中学では、学期テストでは、パットしなかった成績でした。普段は勉強しないのに、実力テストでは、いつも上位なのが、ひそかな自慢でした。

身体が弱く、体操は休み勝ち。プールはいっさい入らず。一生の かなずち (トンカチ) となりました。

隣の同級生の影響か、音楽が好きになる。ベートーベンの生涯をテーマにした 長編小説 ロマン・ロラン作 「ジャンクリストフ」 読破。

なんとなく、人生が楽しく、明るい思い出は、中学生までです。

大阪市阿倍野区
高校生
家業が、思わしくなくなりました。暗い印象しか持っていません。何も残りませんでした。
大学進学校の高校の勉強には、少しも身が入らなかった。部活も何もしていない。
奨学金をいただいていましたが、一時、小学生ひとりの家庭教師のバイトもしていました。

後半には、なにやら進歩的?なグループの仲間に入りました。演劇の好きなグループでしたが、私には、演劇は、老年期になるまでも、門外漢です。人間関係のドラマが、好きでありません。文学にも関心持ちはじめた頃ですが、小説よりも、詩や短歌などの、韻文が好きです。

グループの方とは、長い間、友達だった方もいます。しかし後年、私が右よりと思われて、この進歩的なグループの方は、離れました。私は、右でも左でもありません。(笑い) 


18才 幾つかの大学入試を申し込んだものの、結局、1回も受験会場に行けなかった。
5件の企業の就職試験に合格したが、高校で斡旋された企業に就職。
就職後も、2年間、大学進学予備校に通いました。大学への夢を、断ち切れなかったのです。受験は、まぼろし。

以後、書籍関係の企業に、以後40年間、勤めました。
ぼくにとって、企業という社会について、思うこと

子供の頃から、本に対する憧れは、人一倍ありました。気持に押されて、書籍関係の企業で40年も過ごしてしまいました。世界中の本に触れることが出来たのは良かったと思っています。入社から、暫くは、内務業務の作業に携わりました。一番の思い出は、仕入部門で、入荷する洋書籍のデータ取りなどの処理業務でした。これが、ぼくの学問への憧れ心を、くすぐってくれました。ぼくは、継続書籍というジャンルでした。当時は、ヨーロッパ哲学はなやかな時、Husserlliana というフッサールのシリーズの哲学書が、つぎつぎに発表され入荷したこと、内容は分からずとも、わくわくしたことを、今でも鮮明に記憶しています。後年、哲学の勉強して、現象学を知った時に、あの時の、Husserllianaを、思い出しました。入社してから、5年ほどの、この頃が一番に、想い出深いです。

内部業務の時代が、比較的長かったので、社内の伝票業務合理化もどきもしました。オフコンで、BASICアプリをいじったりしました。その頃、Windows の歴史が始まりました。NEC-PC9800 とか、IEとか、それから、ぼくは Windows一辺倒です。家では、ポケコンを楽しみました。
後年、企業内で後半の経験は、販売や店頭などの営業職にも付きましたが、良い思い出よりも、嫌なことがたくさん起こり、蛇足にしか過ぎないと、今では感じています。

そもそも本来、大学に行くつもりだったのが、高卒で社会人になってしまい、その後、大人になれない子供の心でずーっと過ごして来ました。しかし、職業生活は、ぼくの子供の頃に抱いていた夢を満足するものでなかった。
中学3年の時、[中学生の友] という雑誌に、その会社の社長の立身出世の記事があり、影響を受けたこともあり、その会社に決めたのでしょう。共に、働いていた同期の友や部下など、仲良くしていたり、楽しいことがたくさんありました。今でも、お付き合いしている方々が、たくさん居ます。しかし、[中学生の友]から得たものと、長い間の現実に働いた企業の姿は、まったく違うものです。後から見れば、企業の姿は外見と内部が違う、貧弱な組織に思えました。現在も名前だけは、残っていますが実情は、知りません。

これらのことから、一般的に、職業的な社会生活などは、ぼくには相応しくなかったと、思えるようになりました。
結果的に、ぼくは、ひとりで何かを創ることを、生業にすれば良かった、と今さらに思います。

年取ってから、放送大学やムサビ通信で勉強したり、自分のやりたい趣味に没頭している。現在は、過去の嫌だった職業生活のマイナス部分への気持を、一生かけて回復する作業をしている。時間は、あまりありません。(2011-3-31)
(補筆 2016-3-11) 
在住地
&年代
スケッチ
& ギター
師のことなど HP
ページ
大阪市阿倍野区
18才〜 
(会社員スタート)
クラシックギターを始める 大阪の縄田政次先生に半年ほど、基礎を習う。マンドリンとギター両方で活躍の関西大御所の先生でした。 
27才、結婚。  1男1女。 この年のヒットメロディは、 BGM 「愛と死を見つめて」 想い出のメロディです。  
 大阪市阿倍野区
30才前後
パステル画を描いてみる 大阪パステル作家協会(松田登先生)に1年ほど通う。扇町のYWCAでデッサンに励む。
心斎橋のカワチのグループ展に1回出品。 
アジサイの絵があります。⇒
 
私の昔のスケッチ
(YouTube)
 
大阪府堺市
31才 転居
 
20年間の大阪市内の生活に別れを告げて、新天地へ。
近代的な北ではなく、南の自然を選択しました

大阪府堺市

31才〜50才
(昭和の終わりまで)

 
暫しの間の 仕事人間

暫く、ギターと絵画を忘れる、仕事人間でありましたしかし当時流行った猛烈社員というのとは全然違います。また、労働者なんていう概念とも、違います。

ぼくは、仕事というものを、この世にもし神というものが存在するとすれば、
神から与えられた 
聖 な る 賜 物 と捉えていました。
世間一般の労働感とはかけ離れていました。報酬を要求するものでないと考えていました。
働くことによって、人類に何らかの貢献できるのだと、自分に云い聞かせていました。どこの会社でも良いし、個人で仕事できるのなら、それでも良かったのです。そうやって、成り行きで入った会社で、何十年があっと云う間に過ぎてしまいました。

今から思えば、何だったのかなと思います。利益を追求しなければならないという、会社人間には向いていなかったです。立身出世を求めるでなく、生真面目に、もくもくと働いただけです。
生活の糧を得るためだけではないと、自分に言い聞かせつつ、一般のサラリーマン生活には、溶け込めない存在だったと思う。




単身赴任からの方が、充実した人生となりました。

20年ほどブランクの後、青年期に覚えた絵とギターを再開しました。
これより、横浜市での単身赴任の生活が始まりました。
神奈川県横浜市

単身赴任時代
(1991〜95) 
水彩画(1年間) ヨコハマ美術友の会  (住田茂先生)で水彩画 勉強。
(住田茂先生は本来はパステルが専門)
古い
関東スケッチ集


古い
関東の葉書絵
 
クラシックギター(1年間) 東京目黒の加藤ギター教室(加藤誠先生)で、新しいギター音楽の世界を教えていただいた。GGサロンで発表会。 
パステル画(1年間) ヨコハマ産経教室(松本孝司先生)パステル画を楽しむ。 
   これより、堺市での生活に戻りました。
大阪府堺市
1996年〜
パステル画(1〜2年間) 大阪パステル作家協会(松田登先生)復帰。  昔の
関西スケッチ
1997年 風景スケッチ(1〜2年間) 毎日文化サロン(西上ハルオ先生)のスケッチ会入会。
(西上先生は、ペン画とアニメが専門) 
1998年  風景スケッチ(1〜2年間) 日曜画家協会でスケッチ会を楽しむ。
ホームページ start
(妻の気功術の紹介ページが最初) 
懐かしの
関西スケッチ

1999年 60才 春、定年退職 (退職後、直ぐに、個展開催)
1999年後半

60才
 
室内の油絵(数ヶ月) サクラアートサロン(大塚伸一先生)油絵を初めて習う。
ひと月ほどで、止めざるを得ない事態となりました。
ぶらり散歩
京阪神スケッチ展

(生涯ただ1回の個展)
2000年 妻 57才、がんで急死。 気功の指導者でした。 
病室で過ごした2か月の日々。「愛と死を見つめて」 その儘に。
2000年

61才
ギター合奏 渕本一弘先生でギターの基礎。
附属の「北野田ペアレンツ」ギターアンサンブルで楽しく半年過ごしました。
老人ホームなど訪問。自分と同世代の方々が、涙を流して喜んでくれるのに、感動した毎日でした。
懐かしの
関西スケッチ


小さな旅〜

昔の山のスケッチ

これより、堺市と逗子市の往復生活が始まりました。    
堺市&逗子市

2001年
〜2002年

62才
〜63才

逗子は、毎月10日ほどスケッチ中心の生活。逗子&葉山は、散歩と自転車。鎌倉、横須賀、三浦半島、横浜、東京へは、電車利用。描くところが、いっぱいです。生きてる間に描きつくせないでしょうね。

堺では、家から自転車と散歩で行ける南大阪と、南海高野線沿いを電車で、スケッチ&散歩。
夏の酷暑や冬の厳寒、雨の日などでスケッチ不可能の時は、勉強とギターの録音。

昔のスケッチ
2003年
〜2004年

64才
〜65才


2003年10月に
放送大学に入学。

人生最後の勉強。知を愛すること。人生の本当を知りたい。スクーリング授業で行った先で時間を取り、素敵な風景をスケッチ。
昔のスケッチ




放送大学学び舎



放送大学スケッチ
逗子美術協会 2003年入会。風景スケッチ会のために入会したが、直ぐに廃部。現在は、何らの活動に参加していません。 逗子文化祭展に1回だけ出品。 
逗子スケッチ会(和田久松 先生)2003年〜2004年で水彩画を勉強。クリスチャンの先生の優しい指導が良かったです。退 会
横須賀の三浦半島スケッチ会佐藤 陽 先生)2003年に入会。温厚で、わけ隔てない、ご指導が素晴らしい。
先生には、革新派と日本的感性との両方が感じられます。ヨコスカでトップの水彩画家です。

これより三浦半島の風景のとりこになり、一人でも海岸の岩場などを歩き、スケッチしている。


三浦半島のスケッチ集、
 (放送大学レポートの為に2007年夏に纏めたもの。) 

三浦スケッチ集pdf

BGM;スカボロフェアに乗せて、

YouTube  「三浦半島の風景」

三浦半島とは  横浜市金沢区から南〜鎌倉市滑川から東の範囲の半島部で、横浜市金沢区、横須賀市、三浦市、葉山町、逗子市、鎌倉市東部です。 
2005年
〜2007年

66才
〜68才


2007年9月に 放送大学を卒業。待望の学位をいただきました。


卒業研究は、パステル画家オディロン・ルドン研究。
4年間は長かったですが、人生に立ち向かうのに、教養という武器を手に入れました。(2007.10.31)
湘南スケッチ

南大阪スケッチ

2008年

69才

ギター演奏CD曲集、7集(全170曲)完成(過去の演奏集)(2008.3.28)
ギター演奏CD曲集、新曲シリーズ no.1(19曲)完成 (2008.5.25)
ギター演奏録音ファイル(Mp3) 4〜12月で、合計144曲となった。(2008.11.24)

「現代パステル協会展」パステル画の唯一の公募展に入選の知らせ。以後、3回出品。(2008.12. 8)
2009年

70才

2月に、古稀を迎えました。生まれつき虚弱体質だった人間が、なぜここまで生きてしまったのか不思議です。せっかくですので、運命に甘えて、もっともっと生きてみようと思います。

2010年

71才

平成22年2月22日で、アルバイト仕事を退職しました。
これで、束縛されることから解放されました。憧れていた完全自由人間です。


これから逗子での生活が主体になります。堺は、勉強部屋、ギター録音、思い出のトランクルームとします。

横須賀文化祭に出した作品に、佳作入賞の知らせがあり、驚き、且つ嬉しく思いました。この歳になって、生まれて初めての賞状とご褒美を頂きました。(2010.11.23)
湘南スケッチ


南大阪スケッチ


2011年
忘れられない年

72才
 
   3月11日東北関東大震災発生。


たまたま堺に居る日に、東北関東大震災発生。東京都知事の出馬会見を見ていて、その流れで震災報道に続いた。都知事の含蓄のある決意表明で、このままでは、日本に近く非常なことが起こる。その声が終わるか終らないかに、ぐらーと揺れた。堺でも揺れた。恐ろしいほどのタイミングだった。

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これから、せめて気持だけでも、世界の片隅で、世間にまみれない一人の自然人を目指したいと、この歳になって思います。

東北の方々のような自然人です。地球上には、いろいろな人々が生活して来ました。概して、ヨーロッパやアジアの大陸の人々は、肉食系で戦いにつよく、自然を我が物にして近代文明を築いてきました。日本のように環太平洋の人々は、優しい心を持ち、自然と共生する人々です。丁度、縄文人のように。

ぼくは、東北の人々に縄文人の姿が見えてしまう。これからは、この優しい人々の心を、すべての地球人に伝え育てていかないといけない。地球上のすべての人々が、小さな民族や主義主張の枠を超えた発想を持って欲しい。このままでは地球そのものが滅んでしまうでしょう。 
(2011-3-31) 

自然は美しいが、
時に間違いを起こす








いつも変わらぬ春




















とし坊のスケッチ手帳

今年は、運命的な年に感じた。干支の兎歳の6回目の巡り年であった。何か記念になることを、と思い、美術雑誌2誌に、スケッチを掲載してもらった。

facebook
 始めました(2011.12.31)

 2012年

73才

2012年4月に
武蔵野美術大学造形学部通信課程に入学

おそらく生涯最後のお勉強になると思われます。生きてきて、何も残らない人生よりも、なにか納得するものを求めます。(2012-3-20)

日本を巡り、世界が非常に厳しくなってきた。人間とは? 痛切に考えさせらるこの頃である。日本とは、人間とは、何なのだろうか。(2012-12-27)

いよいよ高齢者に本格的に参加してきた思いです。体型も、腰曲りスタイルになって、坂道登るのがつらくなりました。来年は、気持ちだけでも頑張って生きて行こう。
(2012-12-30)
ムサビ通信



最近のスケッチ
 2013年
逗子市に住所変更

74才

腰痛が発生。今年から、杖デビューです。
ますます老人らしい姿になりました。
(2013−1−23)


ムサビ三年次の後半(10月)から、休学を選びました。(2013-7-15)

残り少ない、かけがえのない人生 Only One My Life
持続可能な、普通の生活 Sustainable MyLivelihood


激動の中に、ムサビ通信最後の、夏スクーリングが、無事終了しました。(2013-8-15)

堺の家の整理を始めた。あらゆるものが、10年前のままの状態で、保存(?)されている。
何とか、端から整理(=捨てる)を始めた。(2013-11-7)

最近のスケッチ


ムサビ通信





今日のスケッチ


(日々のスケッチ)
今日の1枚
5月2日付で、住所地を逗子市に変更した。(2013-5-2)

暫く、関西と関東の往復生活して、土地に固着することよりも、固定の生活者と、バガボンド(放浪者)的な、ふたつながらの視点から、世の中を見つめてきました。しかし、体力的にも、移動生活の大変さが、身に染みて感じてきた、今日この頃です。(2016-3-11)
 2014年

75才

横須賀中央病院で、尿管結石の破砕手術。(2014-1-24)
2月に、後期高齢者となりました。現実の肉体は、じわじわと変化しています。

2014年3月に 武蔵野美術大学造形学部通信課程 を退学しました。
ひと時のチャレンジでしたが、たいへん勉強になりました。

健康と死をテーマに、勉強している。
生活は、杖で行動可能な範囲限定です。
スケッチは、クレヨンで、ますます小型になって行く。(笑い)
(2014-7-20)

年末になり、一大事発生。歯の治療に突入。
今年も、ついに身体の各種不具合の修理が、先送りになってしまいました。(笑い)
ムサビ通信退学





今日のスケッチ


生活絵日記


ホームページ
2015年

76才
 

放送大学を、完全に卒業した。(2015-1-24)

堺の家の、家族や自分の古い本の一部を、ネット古本業者に、送った。(2015-3-2)

体調不良発生した。体調不良の原因は、昨年と同じ、結石、5日に破砕手術となる。

(2015−6−3)検査の結果、再手術。
再手術は、ようやく1週間後に、無事大成功。破砕の技術は、医師によって、巧拙があるように思える。(2015-7-24)

8月前半10日間、堺へ。家前の立木など、ひどいことになっていた。立木の伐採整理を、業者にやってもらった。(2015-8-12)

ビデオの廃棄処理を、始められた。逗子でも、ギターを復活して、ぼちぼちと弾いている。演歌だけだ。指が、ぜんぜん動かない。


ミニ花壇も、手がけた。体調は、相変わらずだ。年賀状に取り組んでいる。カジュアル版の方には、サイトと、facebookと twitterの QRコードを入れてみた。

何とか、実人生とネットと、真実の連携できないかな。ぼくの一生の研究課題だ。(2015-11-25)

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生活絵日記
 2016年

77才


喜寿とか云う誕生日、小さなショートケーキだけで、何事もなく、過ぎた。自分の人生は、なにも達成されていないし、これからも、このままで行くしかないよな。(2016-2月)(笑い)

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2月に、堺への移動、バス乗り遅れ事故。3月に、自動車にひき逃げされもどき、の事故。入れ歯の紛失。それに、昔からの病変の痕跡の再確認を検診中。アクシデントと、病院廻りで、忙しい。あきれ返る。

脚力の減退により、ますます歩行が苦しくなってきた。スケッチ行きよりも、家でのギター練習時間が、多くなってきた。指も、動きにくい。ネットで、楽しんでいる時間が多い。

これらの事象に負けないための手段として、逗子のいろいろな学びのイベントに、つとめて参加するようにしている。認知症に向う速度の減速にも役立つだろう。 結構、忙しい。(^o^) (2016-3-11)

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半年間、何をしていたのだろう。逗子のイベントには、たくさん参加した。8月、10月、12月と、堺の家に行った。身体は、いよいよ厳しくて、だんだんと移動するのが、億劫になる。堺の家では、片づけに専念している。本類を、捨てて良いのから、順番に、古本業者に送っている。重要な書類とか、想い出のものは、逗子に移動している。

今年も、あっという間に、過ぎてしまった。身体は、内臓は気をつけているが、メタボシンドロームは、ますます進行。足の筋肉の減退をおおきく感じる。曲がった腰を、支える力が、弱くなった。来年は、足の筋肉を強くする運動をしよう。(2016-12-31)

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生活絵日記


「YouTube」
逗子ひとびとふれあい
2016年
2017年

78才

天気だけは、素晴らしい。おせち、お雑煮、お酒、などなど。家族二人の、毎年と変わらない、お正月。こんな地味なお正月も、毎年迎えられるのか。今年が最後になるかもしれないと、毎年思いつつ迎えている。(2017-1-1)

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あっという間に、6月になってしまった。スケッチの楽しみは、続けている。小さい、短時間スケッチ。室内の人物が、多くなった。

2月に、78才になった。歳が、ひとつ増えるごとに、身体が老人に変化するのが、分る。

2月、4月に、堺へ。往復がますますしんどくなる。家の片づけを、優先的に。場所を取っていた額類を、近所の方に渡すことにした。6月には、業者に片づけ手伝ってもらって、大幅な、断捨離を考えている。

逗子では、いろいろな福祉関係の勉強会に、参加して、脳の老化を防いている。fb友が増えているが、困ったことに、相手は、偉い先生や、若い活動家ばかり。

普段の病院通い、整形と泌尿器は、頻繁に。それに加えて、横須賀共済の泌尿器検査が、3月2回、4月2回、5月1回。7月2回予定。結果は、OKなのに、確実に、病状は、強くなって行くようだ。4月の堺で、酷い症状になり、同じような症状が、周囲的に襲ってくるようになった。尿漏れパッドを愛用。対症療法しかない。一生続く。

6月に、整形の方から、介護保険の要支援1を申請した。路上で倒れたら、大変なことになるので。

この半年は、病気のことばかりで、過ごしてしまった。(2017-6-1)


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堺では、思い切った断捨離の実行。業者に来ていただき、30年程たまった手つかずの物。子供の物の以外を、思い切って捨てた。しかし、まだ半分も出来ていない。

介護保険を、要支援1で申請したところ、要支援2で、認可された。1と2の違いが、良く分からないけれど、自分の思っているより、重度というのかな。(2017-6-24)










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2016年







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