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  興味のある言葉・探究したいテーマ 

(2007.11.15 Re; 2013−8−31 Re; 2015−4−20)


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真実、誠実、世間、風土、感性、自由、美、哲学原始時代、土着、郷土、自然、宇宙、地球、人類、歴史、ナショナリズム、グローバリズム、日本文化、近代科学文明、風景美、美と芸術、大衆文化、デジタル、スケッチ、ギター 

興味のない・好まない言葉・テーマ

儲ける、商売(ビジネス)、宣伝(コマーシャル)、企業、経営、行政、政治、管理、独裁

2005年9月15日 作成 放送大学卒業研究申請の研究課題レポート
ここで書いていることは、その時に抱いた探究の方向性は、現在もいささかも変化していません。
指導官の意見により、パステル画家・ルドンに焦点を当てての研究に決めました。
そのことには、少しも不満もありませんが、
私の課題は、これからも残ったままとなるでしょう。
人生の時間が、残り少ないので、夢のまた夢となりそうです。

研究課題は、残りますが
実践では、自分の方法で、生きて行くしか、方法がありませんね。(笑い)
 
高齢者に優しい作品発表について

(2013-8-30)
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高齢者には、移動手段がないための作品搬入の困難や、展覧会制度としての作品の大型化などにより、作品の発表が厳しい美術界です。身近なところでも、高齢者が同じ悩みを抱えて、趣味の絵画から、次々に離脱しています。

絵画活動じたいは、最大の高齢期でも、サポートがあれば可能である。それに反して、趣味の画家の高齢化による離脱の時は、他の世界より早くやってくる。現在の美術界には、制度として、欠陥があると思う。

美術するのは、単純なる肉体労働なのではない。


考えなければならないのは、芸術は、一部の特権者だけのものでなく、生活大衆すべてのものです。高度な芸術美は、多大な手間をかける技術や、高価な道具だけから、生まれるものでもない。作品発表も、名を成したプロ作家だけのものでもない。反ポピュリズムの理念で、芸術を狭く捉えてしまうのは、ナンセンスであると思う。芸術に身分や、世俗的なもろもろは関係ないのである。

作品の発表の場は、外部の発表展、作品展などへの出品だけであろうか、ということ。

現代では、デジタル化による Web サイトという作品発表の場がある。作品発表・保存の手段として、プロ作家だけでなく、高齢者を含め弱者にも志向していると思われます。


絵画作品は、物質であるとは云え、平面絵画です。現在の絵画複製のプリント技術は、絵画の持つアウラや、素材の手触りも含めた表現が可能です。印刷体だけでなく、Webサイトでのデジタル表現技術の可能性も、十分あると思われます。

とは云え、

物質としての絵画作品と、Web サイトでのデジタル複製作品との相違を重要視することは、今後の芸術美の可能性に、制限を架けてしまうと思われます。物質は、常に変化し衰退します。芸術美の物質性に拘らないで、デジタル化することで、永遠なる美の保存は、可能であると思われます。


音楽の世界では、一般の楽器や声によるアナログ音楽と同様に、デジタル音楽も、普遍的な芸術美となりつつあります。同じことが、絵画美の世界でも、デジタル絵画が芸術美として、複製技術も含めて、認知される日が必ず来ると確信しています。


(2013-8-30)
 

自己表現としての絵画のWebサイト利用

【ムサビ通信、文章表現スクーリング 2013/6/8-9】 
提出 学習レポート (1800文字)(評価80点)


 (2013/6/8-9)

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現代の大衆社会における、高齢者の趣味としての絵画制作の様相と、その後に来る作品発表の場について述べる。作品発表の場では、解決策としてのインターネットの活用について、主に考察したい。ますます高齢社会になって行く日本社会で、高齢者の生きがいの趣味活動のひとつとして絵画制作が盛んである。都会の絵画教室には、若い美学生だけでなく、多くの高齢者が集っている。また、各地の風景スケッチ会には、常時30〜50人ほどの高齢者が集まる。高齢者の趣味活動と絵画美に対する私の考えを纏めてみた。

絵画美とは、何も西洋近代絵画の流れからの現代絵画技法にある合理性だけが、芸術に値するものだとは思われないのである。この地球上には、現在も種々の文化があり、絵画美はヨーロッパのみならず、日本にも、中国にも独自の形で存在していることは、周知の事実である。その他の地域民族にも、独自の美が存在するのである。インターネットにより、地球はひとつとなりつつ、生活の地球一体化が進んでいるのは、喜ばしい。しかし、絵画や芸術の美を、固定的にひとつに纏めることは、ナンセンスである。もしくは、美とはこの大いなる宇宙の中で、唯一のものであるとも云える。ピカソやマチスにも、現代の日本の片隅で絵画を楽しんでいる高齢者の絵画美の中にも、共通に存在するものである。

人類の祖先は、木枝の戦ぎから、枝を擦ることにより弦楽器という音楽美を引出し、岩石の土類を洞窟壁に擦りつけることにより絵画美を創造した。すべて芸術の初めは、人類の些細な手わざ、小さな技術から始まった。技術は、やがて道具を発明した。であるから、絵画制作にも、道具の役割が大きい。プロ画家のみならず、肉体的な衰えのある高齢者の野外の風景スケッチでは、特に道具立てをつとめて簡素に軽量に小さくすることが肝要である。芸術美は、道具の高価や大きさに比例しない。日本のお家芸、軽薄短少が極意である。

私的に制作された絵画作品は、それだけでは作品とは云えない。絵画は、鑑賞者が居て初めて絵画作品となるのであり、趣味の絵画と云えども外部に発表しなければならない。しかし、現代の制度化された作品発表の方法に問題があるのである。例えば、絵画の公募展の出品には、プロ画家などの推薦や多大の労力と経費を伴う。入選するためには、家庭で飾る壁面がない程の作品の大型化と、日常的な素朴な美よりも、西洋現代絵画にあるような奇抜な美を求め、特に高齢者の生活感覚にはそぐわないものである。端的に云って、絵ハガキ的な美は、排除される。グループの作品展などにおいても、最近の会場の大型化により、大型絵画が推奨されている。小型の作品の搬入にも、高齢者には無理がある上、大型作品は自動車便がなくてはならない。

絵画美の本質とはなんであろうか。ベンヤミンは、それをアウラと云った。しかし、アウラが根付いている基盤は、すべて物質なのである。アルタミラの洞窟壁画から、ギリシャの壺絵、中世のキリスト像、ルネッサンス以後の数々の西洋絵画は、すべて物質の上に刻印されて初めて絵画となった。絵画が、物質である限り、絵画美も永久に存在することはなく、いつかは他の物質に変化してしまうのである。このことは、歴史上有名な絵画にも、一介の高齢者の絵画にも、平等に起こるのである。永久に残す方法として、物質性を超えること、電磁波という粒子に変換された非物質にすることで解決される。現代の技術、デジタル技術を利用して、絵画美をデジタルデータアーカイブに変換して、クラウドに登録して残すことである。宇宙に未来永劫に存在し続け、いつの日か、地球が滅びた後、宇宙人が人類の残した美を堪能することであろう。

以上、学習レポートと云うには、情緒的すぎる文であると思われるが、一方で、こと芸術美に関しては、西洋の合理性も良し、日本人の情緒性、俳句性も良しと思われる。一介の高齢者の趣味活動である絵画制作の考えと実例を述べさせていただいた。私の野外スケッチに伴う道具立ては、リュックひとつで全てが纏まる。移動手段は、自転車である。制作作品は、直後に現場で撮影した画像を、インターネットサーバーに送信して、Webサイトが作品発表の場である。実例の絵画は、下記のWebサイトにて、膨大な数を発表している。 (2013/6/8-9)

  現代哲学への挑戦 
  放送大学 「現代哲学への挑戦」 通信課題への回答 (2011-11-16)



ヘーゲルが、全世界のすべての説明図を作成してから、キェルケゴールとマルクスによる反発があり、現代哲学が生まれました。

マル
クスの流れは、ソヴィエトという人類の実験が失敗して、現在では哲学自体が消滅したように見えます。

キェルケゴールの流れは、サ
ルトル以降の実存主義に引き継がれ、世界よりも自己の生をこそ、かけがえないとしました。

その後、現象学や構造主義や、もろもろ
の哲学や反哲学や、やって来ては消えてゆきました。リオタールが「大きな物語」は終わったと宣言してからも、すでにひと昔が過ぎました。その意味では、ポストモダンもすでに終わり、次の時代に移ったと云えるかもしれません。

ギリシャ以来の西洋哲学は、今と
なっては、何だったのだろうかと、首を傾げたくなります。現代の状況を見ると、機械的な人間の世界はますます進み、ネットというリゾームに絡み取られた人間世界があります。従来の真実を探究する哲学という人間の営みも、情報を検索するという機械的な動作に変化しました。

全てが相対化している世界で
、人間が人間として自覚して生きることの困難さを感じます。現代哲学者にも、相対的な言説しか感じられず、深くコミットする気持ちが起こることはありません。リオタールの「ポストモダン」が、時代に囚われることに対する単なる反省のスタイルであるとすれば、この言説が一番まっとうにも感じられます。

現代に救いを求める
とすれば、機械となった人間の世界は、どことなく原始の野蛮時代の人類と同じようなレベルの平等な世界となりつつあるように見えることです。人間が歴史的に積み上げてきたすべての制度が、これから無意味になる時代が、必ずや到来すると思われます。人類は、野生の時代に帰ることにより、機械の中の人間から、自然の中の人間に戻ることが出来るのではないだろうか。もし人間に哲学が必要であるならば、「自然に帰れ」という、ルソーの言葉が今に復活すべきです。

ヨーロッパ哲学と科学の流れは、ルソーの気が付き向か
うべき、と考えた方向とは反対の方向へ来てしまったのです。野生に帰えれば、地球のある地点だけに偏在しない、日本も中国も、西洋から未開と云われたアフリカや、アメリカのネイティブも参加した、すべての地球で通用する哲学を構築できると思われます。

レヴ
ィーストロースの「野生の思考」が一番好ましい。アルタミラの洞窟で、野生人は自然を写しただけです。美も、カントの判断力から離れて、自然に内在する美をミメーシスすることが芸術です。現代の科学技術によれば、ベンヤミンの「アウラ」も、デジタルコピーこそに宿るものです。物質の作品の方が仮像にしか過ぎません。真実も、ものによる保証など必要ありません。情報に宿る真実は、鮮度だけがすべてなのです。

哲学は、陽炎のごとく揺らめき、はたま
た、生鮮食品のように賞味期限があり、もしかしたら再利用が可能なのかも知れないのです。


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《通信課題の回答に対する総合的な指導・助言》 (添削の解答がありました。2012-1-10)

”自分のことばで、オリジナルに思考された優れた答案と思います。普遍的登記簿の中で確認された真理と、哲学が求める真理の関係は、どのようになっているのでしょうか。さらに考えてください。” (船木)


本から電子書籍へ 
すべての美の本体をクラウドへ


(2011.9.15) 
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子供の頃から、本に対する憧れは、人一倍ありました。気持に押されて、書籍関係の企業で40年も過ごしてしまいました。世界中の本に触れることが出来たのは良かったと思っています。

それ以来、勉強すること=読書=本の所蔵=積読というのが、ぼくの勉強のスタイルでした。これは今でも変わりません。趣味から実用まで、真の学問を目指した勉強も、すべて本から始まり、本で終わりです。そんな訳で、自分の趣味であるスケッチの結果を、今まで拘りのあった本という形式(Book形式)で残しておきたいとの思いで、今年に限り2件の美術雑誌に、作品を掲載しました。


しかし、最近の情勢は、紙媒体としての旧来の本ばかりなく、電子ブックや、Webも立派なメディアです。電子ブックの進展も視野に入れて、勉強中です。これからは、書籍という紙媒体でなく、電子媒体が残って行くでしょう。いずれ電子ブック媒体で、スケッチ記録の保存もしたいと思います。

Webについては、YouTubeという絵画と音楽の両方に適応したメディアの出現がありました。
音楽著作権の縛りが緩和できたことで、利用がしやすくなりました。著作権というのも、問題のある制度だと思います。

画像の再現性については、PCやモバイルのモニター、プリント写真、紙の印刷と、媒体により差異があることが分かりました。それぞれの特徴を生かして使用したら良い。本質的に云えることは、芸術とか美という、その本体は何かという疑問があります。絵画にしても、その本体は単なる物質にしか過ぎません。従来は、本体である物質そのものに、大いなるアウラを感じ求めて、人類の遺産として来ました。その考えが正しいのでしょうか。その物質以外に、美の本体をコピーして、保存する方法はないのでしょうか。アウラとは何でしょうか?物質から発するアウラと、コピーから発するアウラは、違うものでしょうか?

現代の科学技術により、アウラというものもコピーされるまで、複製技術は確立されていると、ぼくには思われます。


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最終的に、テキストや、画像や音声などの、自分の作成したすべてのファイルを、紙媒体よりも電子的なデジタルデータで残したい。

電子アーカイブとして、クラウドに保存しておくことで、災害に関係なく、本人の生死に関係なく、永久保存されると思われます。


今後はすべて、クラウド志向で行きます。
 (2011.9.15)
 

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